品格
社会的地位が高いであるとか、
容姿端麗であるとか、
性格が優しいであるとか。
人が人を評価するには、
様々な観点がある。
我々は何を重要視して、友人やパートナーを選択しているのか。
容姿や性格など、個人固有のものであり、変えにくいものを重要視しているのか。
あるいは、資産や地位、権利等の出生や競争能力に関するものを重要視しているのか。
はたまた、それらを総合的に捉えて総得点で判断しているのか。
俺は違うと感じる。
品格や品位と言われる、人間の徳のようなもの。
人間らしい振る舞いや、
人間や、動物を思いやる精神、行動。
宗教的な意味ではなく、高貴な精神が重要であると思う。
昨今、嫌な思いをすることが多い。
見た目が綺麗な女性が堕落した振る舞いをする。汚い言葉を使う。
資産や権利を持つ男性が、それを持たざる人を侮辱する。
それを真近で体験した俺は嫌悪感を抱いただけで、何も解決出来ていない。関わりたくないと思っただけで何も行動できていない。
それではダメだ。
権利
義務と権利は相反する対の存在のことに思えるが。
全くそんなことはない。
義務は自らの内から湧き上がるような渇望であったり、人生の礎のようなものだ。
権利は、他者や社会から認めてもらい、得られるものだ。
得るための方法論として、「義務」のような何かを行い、その代償として権利を得ようとする。
それが間違いだ。
権利を得るための方法は他に多くあり、義務が唯一の方法ではない。
それを理解していないから、がんばることを含む「何か」をすれば権利が得られると考える。
だが、そのアプローチは違う。
世の中の多くの富は、権利で持って維持されている。
他者や社会が、あなたは富を持つ権利があると、承認してくれている上で成り立っている。
そう考えれば、裕福になる方法も、
または瞬時に貧困になる方法も、
簡単に分かるだろうが。
交換
人に何かをしてもらうなら、
報酬を出さなければならない。
報酬を出せないのであれば、
それに代わる奉仕を出さなければならない。
奉仕を出せなければ、
それに代わる感謝を出さなければならない。
感謝を出さなければ、
それに代わる誠意を出さなければならない。
誠意とは何か。
それは成熟した大人に比べ、思考や行動が劣る赤ん坊や動物のようなペットでも出来る事だ。
対象者に懐くということだ。
対象者に好意を持って接することだ。存在を肯定することだ。
本来であれば、それは自らの意思で相手に行う行為ではあるが、誠意以上の物を差し出せないのであれば、意思に関係無くやるべき最低限の行為だ。
それが出来ない人間が世の中には一定数いる。
関わるべきではない。
価値観
もっと横暴でもいいのではないか。
特権や恩義、義理あるいは金銭。
そのような何らかの心理的、物理的なアドバンテージがあるのならば、
独善的に物事を進めても良いのではないかとも思う。
しかし、それを実行すると、
それは暴力に近い行為になってしまう。
自分が最も嫌う行為になってしまう。
だから出来ない。
周りも、僕はそれが出来ない人間だと分かっているから、自分優位な行動を取るのだ。
いや、それどころか、その両者の資源貸借関係を無視して自らの正当性を示し僕を批判する。
そうなる理由は理解できる。
理解は出来るが納得は出来ない。
恐らくは僕が考える物質的、心理的な貸借と僕の周囲にいる人間の貸借は、その価値観が違うからだ。
そう不満を思っても、
そうゆう世界を作り、そうゆう価値観を持つ人間を好きになったのも自分であり、原因は自分にある。
その状況は仕事もプライベートも同じであることを考えれば、自らに原因があるのは明らかだ。
いまだ解決策は見つからない。